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Gルートは誰のためのものだったのか? [心理の資格]

公認心理師試験は2018年から開始された。2022年の第5回試験までに、約12万人が受験し(延べ人数)、約7万2千人が合格した。受験区分は区分Aから区分Gに別れているが、受験者・合格者とも区分Gが最も多く、受験者が約8万8千人、合格者は約4万7千人だった。区分Gが受験者の約7割、合格者の2/3を占めたわけだ。

常にかすまびしいTwitter界隈では、区分Gへの批判も数多く見られた。その批判を一言でまとめるならば「本来なら受験資格のない人に受験資格が与えられている」というものだ。

そうは言っても、試験は行政上のルールに従って行なわれているのだから、本当に受験資格のない人が受験したならばそれは「不正」である。だが、批判はそのような不正行為に対してのものではなく、「ルールがおかしい」というものが大半だった。

公認心理師試験制度は長年かけて練り上げられたものだし、その過程の中で心理業界の意見を反映する機会はいくらでもあった。当時の臨床心理士の人たちの関心は「医師の指示条項」にばかり向けられていた(少なくとも外野からはそう見えた)。いざ制度が施行されてみたら、予想外の問題が生じてきたというのなら、自分の属する業界団体を通じて監督官庁に申し入れるべきことだ。Twitterで批判を繰り広げてみたところで制度が変わるわけではないし、批判している人ご自身も区分Gでの受験だったりするので、もはや批判のための批判になってしまっていた。

批判の声が大きかったのは、区分Gでの受験者・合格者が実数・比率とも大きかったためだろう(数が少なかったらたぶん無視されていた)。今回はこの「Gルート批判」について考えるエントリである。

■経過措置は誰のためのもの

SUKIMA GENERATIONSというサイトのトップページに、このような記述があった。
これまで心理職のスタンダードであった「臨床心理士資格」ホルダーが「公認心理師資格」を受験できるように5年間の移行措置期間が設けられ・・・
このサイトの趣旨は、公認心理師試験制度の隙間で受験資格を得られなかった人たちへのサポートを考えることである。その趣旨に対しては特に反対意見は持っていないが、このような「事実に反する」記述が掲載されているところに、臨床心理士の人たちの区分Gの解釈が表れている、と言ったら言いすぎだろうか?

5年間の特例処置(すなわち区分G)は、現業者のためのものであって、臨床心理士資格者のためのものではない。

「臨床心理士資格者は受験資格が与えられるべきである」とか、「臨床心理士の養成課程に準じる教育を受けていない人に受験資格が与えられるのはおかしい」という意見は、区分G制度への誤解から生じてきているのである。

■区分G

国家資格の創設時には、現業者をどうするかという問題が生じてくる(必ず生じてくると言っても過言ではない)。創設後は、その資格の養成課程で教育を受けるのがスタンダードなルートになる。だがすでにその分野で仕事をしている人たちにとっては、学校に入り直すのは現実的な選択ではない。そこで、その不公平を救済するために、現業者に対する経過措置が設けられることになる。

こちらのエントリで、公認心理師の受験区分について説明した。
公認心理師の区分Gについて

再掲になるが、医療系の資格の場合には、
 ・現に業として行なっている者(5年以上)
 ・大臣の定める講習会を受講
 ・経過措置は5年間
というのがスタンダードになっており(さらに高卒以上を要件とするものもある)、公認心理師資格もそれに準じたものとなった。なので、自分も含めて多くの人が職場で現業の証明書を書いてもらい、現任者講習会を受講することで区分Gの受験資格を得たのである(高卒の証明は要らなかった)。

この要件の中に、臨床心理士という資格を保持しているかどうかは含まれていない。したがってこの経過措置(区分G)が臨床心理士資格ホルダーが公認心理師資格を受験できるように作られたものでないことは明らかだ。

■その他の区分

chart_201912.gif

区分ABは、公認心理師法の施行以降に公認心理師の養成課程を経て受験資格を得る、といういわば「正規」のルートだ。

区分Cは、外国の大学・院などで教育を受け区分A・Bと同等以上の知識・技能を有すると認められる人たち。

区分D1/D2/E/Fには細かな違いがあるが、いずれも「科目の読み換え」によって区分A/Bと同等の養成課程を経たと見なすことができる人たちのルートだ。これによって、法の施行以前に日本の大学・院で心理学の教育を受けた人たちが受験資格を得ることになった。その多くが臨床心理士としての教育を受けた人たちであっただろうが、だがあくまでもこれらの区分は「公認心理師の養成課程と同等の教育を受けた」と見なせる人たちのためのものだ。

臨床心理士の資格をもってして受験資格に結びつける区分は用意されていないのである。

これは国家資格の制度設計としては当然のことで、正規の養成課程を用意し、それを経るか、それを経たのと同等の知識・技能を有すると認められる人たちに受験資格を与えるのである(例外は現業者のみだ)。

このルール設計が完璧だとは言わないが、「ルールがおかしい」と主張できる論拠はない。公認心理師と、臨床心理士が別の資格であることを踏まえれば、公認心理師の受験資格と「臨床心理士になるための教育を受けたかどうか」は無関係であることが分かる。

だが、この制度設計のなかには、不満を招く問題点がいくつかあったのは確かである。それについて見てみよう。

■心理学の教育を受けていない人に受験資格が与えられた

これは区分Gについて多くあった批判である。区分A/Bにしても、臨床心理士にしても、大学+院で6年の養成課程を経るのに対し、現業であったというだけで大学で心理学を学んでいない人たちにまで受験資格が与えられたというのは不公平に感じるのだろう。

公認心理師試験であっても、他の国家資格試験であっても、資格創設時の現業者に対する経過措置というのは「特例」である。特例が不公平感の対象になるのはやむを得ないところではある。

6年間の教育を受けずに受験資格を得られたわけだから、区分Gには「お得感」があった。現業者向けの講習会の費用は数万円で、これは大学+院で6年間教育を受ける費用に比べれば圧倒的に安い。そのお得感が大量の受験者・合格者を産み出し、その大量さが不公平感を増大させた、という面はあるだろう。

現業者に対する特例に対して、大学で心理学を学んだなどのある程度の心理学の教育をすでに受けていることを要件にできなかったのか? という疑問を持つ人もいた。だがそれは、法律には遡及適用しないという原則があることを考えると、法施行時点で現業であるという以外の条件を課すことは難しかろう(現業者のなかでの不公平を作り出してしまうからだ)。

結局、不公平には感じられるだろうが、制度設計としてはこれはこれで正しいと言わざるをえない。

■心理学の教育を受けていない大量の合格者によって、この資格の社会的評価が損なわれかねない

確かに、区分Gでの4万7千人ほどの合格者のなかには、心理学のたいした素養を持たない人もいるだろう。そういう人たちの言動によって「公認心理師資格はレベルが低い」という評価が世間から与えらると心配する人たちもいた。

だが、本気でそう考えているのなら、世間知らずと言わざるを得ない。世間の評価は、専門的教育を何年間受けたかどうかではなく、実際に役に立っているかどうかによって行なわれる。どこの医学部を出たかは医者の間では重要なことかもしれないが、患者の側では腕が良いか悪いかで医者を評価する。

心理畑の人にとってみれば、どれだけの教育を受け、どれだけの素養を持っているかが大事かもしれないが、世間はそんなことを気にしてはいない。クライアントが気にしているのは、自分が良くなるかどうかであり、カウンセラーがどこの大学院を出て、誰に師事しているか、それとも高卒のたたき上げなのかは気にしていないのである。

なので、これは無用な心配と言えよう。

■現業の認定が甘すぎる

医療関係の資格の場合、現業とは基本的に医療機関で働いていることなのだが、公認心理師の場合は、医療だけでなく、福祉、教育、司法、産業にまで分野が広がったため、その範囲も広いものとなった。

様々な法律を根拠法として設立された様々な施設が対象になるため、実務経験証明書には3桁の分野施設コードを記入するようになっていた。

そこで、例えば「学校で生徒の相談に乗っていた教師」だとか「福祉施設で利用者の相談に乗っていた職員」だとか「更生保護施設で虞犯少年の相談に乗っていた職員」とかが、現業者として認められることになった。果たしてそれが妥当なことかどうか・・という疑問が提示されていた。

現業とは、公認心理師法第2条1号から3号までに掲げられている業務に就いていることだ。その業務とは、要支援者に対する「心理状態の観察・分析」「心理に関する相談・助言・指導」「関係者に対する相談・助言・指導」の三つだ。これらの業務が週に1日以上あれば現業期間として認められたのだから、かなりハードルが低かったと言えるだろう。スクールカウンセラーは週1回勤務というケースが多いことも考えると、ハードルを上げるわけにはいかなかったのかもしれない。

そして、それらの業務が心理学的な専門性を持ったものかどうかを判断する基準は示されていない。また、虚偽あるいは不正な証明によって受験したとしても、合格した心理師の登録が取り消されるだけで、証明者に罰則があるわけでもない。そのことが、この判断を甘々にしてしまった可能性はある。勤務実績がなかった、みたいな明らかな虚偽は別として、行なっていた支援が心理的な支援だったかどうか、というのはあとから判断しにくいものだ。

ただ、多くの分野の施設・機関が対象になったということは、それだけ多くの分野で公認心理師が活躍することを期待されているということでもある。そして、そうした分野において期待されている心理的支援の専門性は、心理畑の人たちが自分たちの専門性だと見なしているものとはかなり食い違いがある

その食い違いを無視して、他分野の人たちが行なっている心理的支援は専門性が低いと見なすのは、独善的であるだけでなく、心理職の活躍できる範囲を自ら狭めていると言える。

すでに公認心理師資格を得た人も、これから新卒で受験して公認心理師になる人も、心理支援を専門とする機関で働ける人は一部だけで、多くは上記のような分野で心理の仕事に就くことになるだろう。心理に限らずどんな分野であれ、大学で身に付けたことが現場でそのまま役に立つことはほとんどない。現場ごとに専門性があり、それを身に付けた上で、素養として持っているものをどのようにして現場で生かしていくかが問われるのである。

現業の認定に甘さがなかったわけではないが、現場で必要とされている心理支援の専門性にも目を向ければ、非専門的な業務を現業として認めたわけではないことがわかるだろう。

■なぜGルート批判が生れたのか

Gルート批判のもとには「臨床心理士には(あるいは臨床心理士になるのと同等の教育を受けた者には)公認心理師の受験資格が与えられるべきで、それ以外の人には与えられるべきではない」という考えがあるのだろう。

現実には臨床心理士であっても(あるいは臨床心理士になるべく教育を受けている人であっても)公認心理師の受験資格が与えられない人がいて、その一方でそうした教育を受けていない大量の人たちに受験資格が与えられた。

この自分たちの理想と法律の現実のギャップがGルート批判として噴出した、と見て良いだろう。批判の内容は様々だが、批判の根源には理想と現実のギャップがあるのだ。

公認心理師資格は、もとは臨床心理士の国家資格化を進めた結果として誕生した資格である。政治的影響力を持つ医師会側は、医師の監督下で働くコメディカルとしての医療心理師の資格化を求めた。そこで、この二資格を一つの法律で実現すべく(二資格一法案)作業が進められた。そのまま実現していたならば、大学院レベルの臨床心理士と、高卒+専門学校レベルの医療心理師という二つの国家資格ができていただろう。

ところが、詳しい事情は分からないが、臨床心理士の国家資格化は途中で取りやめになってしまった。かといって、医療心理師だけでは医療以外の分野をカバーできない。そこで、二つの資格の中間的な性格をもった公認心理師が制度化されることになったわけだ。

したがって公認心理師資格は臨床心理士資格の後継ではなく、新しい資格として創設された。臨床心理士制度との連続性がないのは当然のことなのだが、そこに何かしかの連続性を期待しているからこそ、前述のような理想が生れ、その理想が不満をもたらしたと言える。

もし仮に、臨床心理士の国家資格化を諦めずに、実現できていたとしたら、そこには従前の臨床心理士制度との連続性がある程度確保され、受験資格が与えられる人と与えられない人の基準も、公認心理師資格とは違ったものになり、Gルート批判のようなものも生じにくかったに違いない。

それでもあえて臨床心理士の国家資格化を選ばなかったのだから、そのような不満というデメリットよりも、国家資格化しないことによるメリットのほうが大きいと判断したからだろう(それだけ二資格一法案は心理側にデメリットが大きかったわけだ)。Gルートに対する不満は「施行後に予想外に生じてきた問題」ではなく、あらかじめ予想されていたことも十分考えられる。予見されていたにもかかわらず、他のことを優先させるために「やむを得ないこと」と判断された、というのが真相ではないだろうか。

不満はあれどもこれが現実的に最善の選択だった、ということなのだ。

■スキマ問題の解決は・・・

さて、先頭で紹介したサイトで取り上げられているスキマ問題は、他の国家資格の創設時にも起きてきたことだ。現業の期間が5年に満たないために受験できない、というのは救済しようがない。

また、臨床心理士の課程を選んだために、公認心理師試験の受験資格が得られなくなったという人たちもいる。資格創設前には、先行きがどうなるか分からない時期があったのだから、彼らは資格創設のドタバタに振り回された被害者とも言える。現状では臨床心理士の資格だけでも心理職として働くのに特に不利にはなっていないようだが、先のことはわからない。

こういった人たちをまとめて救済する制度を作るというのも悪いアイデアではないと思う。この人たちに共通しているのは、実際に心理の仕事に就いているか、今後就くつもりであるということだ。

それならば、社会福祉士の受験ルートにもあるように、○年間の実務経験+○年間の通信制養成課程の組み合わせで受験資格を得られる仕組みを作れば良いのではないだろうか。そうすれば働きながら公認心理師資格を目指すことができる。実務経験があるのだから実習は免除すばよいし、さらに、すでに大学等で履修済みの科目(あるい読み換えられる科目)があれば、その科目は履修免除にすることもできる。

実はこのブログでアクセス数がダントツに多いのが
放送大学だけでは公認心理師になれない
というエントリだ。そのことからも、大変多くの人が、社会に出てから公認心理師を目指すことに魅力を感じていることが分かる。

そのような制度を作れば、スキマ世代を幅広く救済できるだけでなく、働きながら資格取得を目指すという人たちにも門戸が開かれることになる。多くの社会福祉の学科が、大学教育を行なうだけでなく、そのような通信課程を運営することで学科を繰り回している。今後もいっそう激しくなる少子化の時代に、心理の学部・学科を残していくためには、同様の戦略が有効なのではないだろうか。

現在の公認心理師・臨床心理士の制度の問題は、大学+院を経るのに大変高い学費が必要になるにも関わらず、専門職として収入が低い状態に置かれている人が多いことだ。そのような魅力のない状態が続けば、早晩この仕組みは維持できなくなる。だが、大学で濃密な教育を行なうという仕組みは残す必要がある。そのために大学とは別の受験ルート(通信養成課程)を作り、大学に併設するということも有効なのではないだろうか。

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